性について

社会を考える

変な話ではなく、性について考えることがある。
年齢、人種、性別などに関わらず外部環境に依存せず努力できる世界をKPI(目標)とする以上考えることは自然で合理的に想える

私は特に男性が生理について語るべきだと考える男性として生きている。

あくまで事実として

“毎月家を始めあらゆる建物の中に入らずに5日前後外にいなければいけない”

という状況の人がいる。

具体的なことは言わなくとも察していただけると思う。

私が”知っている”のはインドの田舎に限定されているが、少なくともガイジンでまだ3年ちょっとしかいない私が既に知っている以上その状況にいる方は推測するまでもなく”数千人”では到底おさまらないんだろう。

絶望と怒りは常に同居しており、同時に、悲しいことにそれは動機になり、行動へと推移しなければいけないと感じる人生。

幸いなことは、”私”が頑張るのは当然として、”私”をあらゆる要素で上回る方々が活動し、影響を及ぼし、解決へ向かうことが”可能”であること。

それは場合によっては”私のこの投稿であり、一言”がきっかけになることもある。

1をやれば10解決すればそりゃいいが、1をやる人間が多数いて2から10やる人間の流れも出来てくる。

それによって、

そんな少なくとも”私”にとって許せない状況が無くなるように”知らない”ところでもなんでもいいから活動が”1″大きくなる。

それが重要だと実感する。

“個人としての目標”、”私の個としての人生の目標”みたいなものを追いかけるほど暇ではなく、まだそこに命を費やしてよいと本当に思う事は難しい。

この事象がどこかの誰かをもしかすると傷つけることになることも”わかっている”が、それも含めて覚悟を

絶望と隣り合わせの覚悟を

何とか持ち、私も2本の足を持つ人間として立っている。

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