思考の跡8

生きる

国旗を掲げることとWW2や極右とを結びつけていることが 国として考えた時の日本の課題なのだろうな “日本の”という時は前提として異国との交わりの中でということが含まれており 日本国内の課題を捉えるときにこの主語は諸刃の剣

自分の命でさえ所有権を認めていない私からすると一才の所有権に対して違和感を抱くのは必然なのだが そうなると市場原理を覆すことになり 資本主義の前提が崩壊する そうするとすぐにでは社会主義、共産主義ならよいのかと極端な議論が起きるが それは小賢しいお利口さんの論理にすぎない

日本語はとても美しい言語でいろいろな表現があるのに 例えばなんで古くはMECEとか言い出してカッコいいでしょ感出す人たちがいたのだろうか 排他的かつ網羅的と表現した方がよほど美しくかっこいいと感じる感性を日本語を操る人間としては持っていたいのだが 言葉として1番好きなだけだが

自己の死が他者にどの程度価値をもたらすものであるのか と 自己の生が他者にどの程度価値をもたらすことができそうなのか とのせめぎ合い

悩む必要も考える必要もないことを思念することはないが 外部環境が原因で努力できない人間を地球上に増やすことに繋がることをするなら 徹底的に巻き込むか潰す 自分がそうなるようなら木っ端微塵にする それが生きる目的であり理由として自らの生命の活用方法として設定した事なのだから

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