学校には行っとけ

教育者

個性の尊重と自由

~しっかりと”勉強?すること~

学校には行きなさい

未成年であること もしあるのであればそのあと帰る場所があること そしてもっと恵まれていれば両親がいること 何かを受け入れてくれる人がいること 先生がいるということ

その状態

辛いことがあればオレやオレの友達はお前の味方だし絶対に見捨てないから大丈夫

これは俺に子供がいたら言いたいこと

学校というのは公立学校にせよ私立学校にせよ

知らない人間がいる状況に放り込まれ、ルールに従って生きることになる

世の中が理不尽に満ちていてその中での自分の立ち位置がどんなところなのか、努力をしても努力をし過ぎないと才能がない限り結構無駄に想えること。

自分は特別などではなくそこそこ平凡であること。

その様な自覚があっても努力をすると多少何かできることが増えかつ精神的な成長を感じることができること。

人がたくさん生きている社会の中で生きていくというのは決して楽なものではないということ。

無駄だと思えるルールや完璧な大人ではないがいること、存在すること。

これらのことを教えてくれる場所でもある。

基本的な勉強は全て理解力を高める、つまり知らないものごとを理解し、それを解釈し、問いとして聞かれたときに答えることができるようになるための道筋で、情緒や倫理というものに触れることもある。

それ等の機会を親としても子としても未熟な段階で何もかも捨て去るという判断を本当にしてもよいのか。

一度とどまることも必要だろう。

当然逃げてもいい。私も比較的学校には行かなかった(行けなかった)。実家に帰って連絡する友達がいないこと自体がどれほど当たり前ではないことか、日本に一時的に戻る時に価値の交換を抜きにして連絡する“友達“を探さないと思い当たらないことがどれほど当たり前な人間ではないか

それを実は学校教育の頃から少しずつ教えてもらっていたと考えている。

そのおかげで何とかその様な人間がいない人間でも二本の足で立って生きていける。

それらはあの地方公立学校という環境

手放しに学校に行かなくてもいいと言わず、何とか向き合って通わせてくれようとした両親がいる家庭環境

この二つがあって初めて社会一般に対して不適合だと自覚しながらも生きる目的を見つけて生きていける

当然命を捨てたくなるほどきつければ直ぐに逃げた方がいい。

逃がした方がいいのだが

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