死ぬ価値を考えるということ
それはそのまま多くの失望を与えたこの人間世界に対して期待するということ
自らがその最後を通して誰かに何か影響を与えると考えているからこその死の価値であり
それは影響を受けた人間が何かしら現在とは異なる行動をし、自らが理想とする世界をなおもまだ、創ろうということになる
死を自ら選択すること
それ自体を通じての影響とそれまでの言動・行動の拡販とが期待されている
これからの時間を通じて与えるであろう影響、そこから産み出される目的に対する価値よりも死という「仕事」を通して与える価値が大きいと見積もった時にほとんどそれは成功を確約した形で行われる
いかなる影響であれそれは差を起因とする事象に対する影響を意味するのであって
同時に苦しめているのもこの一切の差である
そして御利口な人間存在は分類によって
「地球に住む人類が同じではない」
と認識し、差を生きるために苦しめない程度のものに狭め、納得しながら生きている
そうすると感じる
他人よりも努力することを求めたり個性を求めたりした結果出来上がるその人間はもはや周囲に人がいない孤独な状態であり、また同質の人間を集め分類をするという行為を繰り返すのだろうと
その様なことが一般に史上行われていることそのもの自体を嫌う場合、どの様な生の在り方がありうるのだろうか