思考の跡14

生きる

なぜ小学生の時に通ったあの精神科の先生は ワタシを普通であるとしたのだろうか その時点でレッテルを貼り付けてくれるだけで いろいろなことを諦められたし未遂をすることも無かったかもしれないし わざわざ人様の人生に影響を与えることもなかったのに まぁ医学の大半を信じちゃないがね

心を壊すことと鬱であると診断されることの関連性がどれほど前提としていいのだろうか 主体的に壊しにいく場合はどうなのだろつか

卑屈でも鬱でも悲観でもなく 単純に長期で広く観たら 絶望以外の何者を見出せるというのかが頭で理解できていない 個人の幸せや感情的な喜びとは全く別のところに自分の身を置いていると自然とそうなるものではないのだろうか

民主主義を求めておいて自由を手にしておいて役割責任を放置するなど愚の骨頂ではないか

知識があるから知恵が産まれるのであって 体験があるから知恵の活用ができる 自らの得手不得手を勝手に決めて制限し、偏りを持たすことは片側のみ車輪を付けて走る車のようなものであり、当然の帰結として無駄に時間を費やすか事故を起こす

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