思考の跡16

生きる

錯覚と虚構 これが無ければ大義などという”社会一般”とは無関係な事柄を真剣に考える必要はない 一度考え出すと麻薬の様に中毒性があり 生きがいとか言い出す始末 お前の生きがいのために課題や理想があってたまるかってんだ

慈善事業と資本市場との棲み分けが”社会的に”どう批判を受け、それによって規制が入るのか それは現場での活動に直結し得ること すなわち現場の人間に対して その批判の声は責任を持つということ この責任を持たない声は 民主主義とはいえない

毎日毎日クソいらいらするなぁ 自分程度の人間にすら価値がある社会に

現場で自分でも価値が出せることがあるたびに思う なんでだよ こんな小せぇ33のガキにすらやれることがある社会ってなんだよ 何やってんだよ人類 って 最低限の努力する機会与えるぐらい簡単だろ?

よくどんな風に育てられたかを聞かれるのだが その背後に自分の子供に私みたいになって欲しいという想いがあるなら心の底からお勧めしない 運がよければ33までは行き抜けていけるが 早々に離脱するぞ

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