誰もが「まずは自分の生活を」「まずは自分の幸せを」そうやって考えた上でのあらゆる活動を考える。
私も多くの方に、「当然それは私の(無価値で無意味な)人生のことを思ってのことだと理解はしているのだが」、言ってもらうことがある。
だから当たり前で当然のこととして放置される人間は放置されたまま
なぜならその様な人たちのことを考える間もなく「自分の人生、生活、幸せを追求する」時間が終わることがごく自然な人間の在り方だから
この人類史の中で
未だにネズミしか食ってない人もいれば
病気したら死ぬしかない人もいれば
産まれで差別される人もいる
なんですか?
まずは自分が食っていけることって?
食っていけるという表現はずるいですよ
それはどの様な生活水準を担保するのか
そういう表現を使わないと結局「もっと、もっと」となるのが人間というものでしょう
物質、価値観、承認、あらゆる事柄に置いてそ「もっと」と求めるのが当然の在り方なのであってその対象が
「もっと外部環境が原因で努力できない人間が減った世界でないと俺がムカついて苦しい」
そう思うだけなんだがなぁ
最大の差異は(私は差異、違いに線引きをすることに非常な嫌悪を抱く)自己の生に対する執着なのだろうか
それとも親しい人間との人生というつかの間の時間における関係を大切にできるかどうかなのだろうか