思考の跡22

生きる

友人が血まみれの姿を、しかもリンチにあった姿を見続けている 社会が憎い くそくだらない馬鹿みたいな価値観や契約や人権や所有権などという理性的に築いたと勘違いしている事柄に縛られて 愛し合える人間がもしくはそっとしておける人間が ボコボコに 社会に関わるなら徹底して関われよオレ

自分が生きていたことなど誰1人覚えていない方が幸せなんじゃないのか? 誰にも余計な影響与えずに 誰も悲しませることなく 静かに生きているだけで辛い人類社会から退場できるなら至高ではないか 生きていた証拠なんて微塵も残したいとは思えない そんな崇高な存在だとは思えない

私たちの子ども達⇨あ、そうじゃない子との境界を引いて子どもを捉えるんだな ソーシャルグッド⇨あ、何がグッドで、つまり何がバッドなのか判断する基準が明確にあるんだな、頭よいなぁ 言葉一つとってもいろいろなことを感じて、考えてしまううるさい脳みそがココにはある 良い子は真似すんなよ

社会活動の中での教育において”私たちの子ども”と称するその境界線はなんなのであろうか

技術革新がこれだけ進んだのに人は豊かになってない と嘯くのはもうやめような データ上”豊か”にはなっているでしょう 総量としては マイノリティとしてしっかりマイノリティであることを自覚して努力するしかないんだよ 我々は 声を大にしても少数では貧弱なんだよ 大切にしている民主主義ではね

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