私の周りではよくそう言っている人がいますし、そんな雰囲気があります
1いつかはNGO,NPOの様なことをやろうと思っていた人が実際に始めた
2全く関心が無かった人が私に寄付をしてくれた
3現場やNGO同士の間接的な協力の中間に入りやすい
1はスタートアップの経営者の方で、コロナを機に教育支援について話す機会を得た友人で、いつの間にかNGOを設立し、活動を初めていた。
「ガイジンであるお前が国を捨ててでもこのインドで活動してくれているのに俺はしていないことが恥ずかしく、いつかではなくてイマすべきだと思えた」
と言っていた。幾ばくかの感動を覚えた。
2彼は今も関心はなく、現場に足を運ぶことはないが、私を応援したいという気持ちから活動にでもうまい飯を食うのでもいいからと5万INRをふと寄付してくれた。
もともと私が仕事を依頼し、お金を払っている側だったこともあり、少し驚いた。
3様々なNGOや社会活動をする団体・個人と継続的には10名(団体)程度の方とコミュニケーションを取って物理的にも少なくとも二か月に一度は会うようにしている。
それぞれの地域でのノウハウや課題を私が事例として匿名で伝えることで現場の方にとってより効率化に繋がり、課題の解決速度を高めている。
で、たぶんこれはどの場所でもガイジン、余所者でも上から目線ではなくかつ覚悟を決めていることが言葉でも態度でも行動でも示せるのであればどこでも機能しうるのではないかと思っている。
チェゲバラ氏の活動がアフリカでは失敗したとも捉えられるその背景や要因はある程度真面目に勉強したほうがよいと思いつつ。
これらは完全に個人の力量に左右されるのでガイジンだからできるというたやすいもではない。
実際に現場を周り続け、支援者としてではなく、あくまで共に外部環境が原因で努力できない人間などいない世の中を創るべく村人も社会活動家もビジネスパーソンも政府の人にも全く同じ態度で同じ考えを伝え、活動し続けているから起きている事実だと思う。
自分の実績を誇るというのはあまりにも気持ちが悪いが、ガイジンが日本以外で活動することを、ただそれだけの理由で責める人が減り、地球の決して同じ人間ではない人間を同じ人類であると捉えなおしその最低限努力する機会を場所「名」や「立場」「地位」など一切の人間的要素に関係なく共に築き上げるためにもこの発信は必要だと考えた。
個人的には国というカテゴライズそのもの、あらゆるカテゴライズへの絶対視という在り方には理解が及ばず基本的には好きではないのだが、それが人間の当たり前の営みであり、私の好き嫌いではどうしようもない話であることは百も承知ではあるのだが。