過去について

生きる

多くの人間が自分という個がどこか特徴的だと捉えている。

前提として恐らく特徴的、すなわち他人と比較してその個が明確な差異があって際立った存在であるということは無いと考えている。

この人類の歴史である特定の個が“ほかのだれとも違う”なんてことは在りえないと考えている。

ただなぜか多くの個体は自分を特別だと思いたがるように思われる。

そしてその時に必ずと言っていいほど個は今までの自分史を持ち出し、ある経験を自分固有のもので特殊なものであるとして捉え、それを現在の行動を正当化するために活用するように思われる。

私はその様な考えがあまり得意ではなく、常に、分かりやすく言えば、未来志向だ。

明日の自分はいつだって何か新しいことを始めることができるし、すべてを捨てることもできる。あくまで選択肢としてだが、それはあらゆる人類的すなわち文明的制限を排除すれば“可能”だろう。

1時間後に新たな挑戦を始めることなど容易なことであるはずだ。

だから私は常に何も成し遂げていないし、何でもできると常に思い続けることができている。

それが圧倒的な自信につながっている。あらゆることにおいて自信を無くして納得できるほど努力した覚えもないし、これからに期待しない理由もない。

ただなぜだか人類は自己の過去をもってして自分を規定している。そして私の強みは○○だ、弱みは△△などと規定するし、勝手にできないことを規定する。

それはいかにも過去の自分という揺るぎようのない事実を正確に捉えられると考えているように思える。

そもそも本当に過去の自分を捉えるという行為はそこまで容易なことなのだろうか。

何も誰かに伝えることを前提とした“ジコブンセキ”の様な話を想定しているわけではないのだが、どうも“自分はこうだ”というエゴを大事に、またそれに苦しみながら生きている個が多いように見受けられる。

過去など関係ない。

科学的に関係あると言われようと、どの様な“知“が大手を振ってそれを説得しにかかっても私は過去にとらわれずに時間をつぶすことは(人生を歩むことは)できると思いつづけるだろう。

そもそも科学万能主義者ではない。科学はヒトが対象にしたいものを対象として選択肢、納得しやすい形で構造化したものであり、決して万能ではないと考えている。その証拠に常に発展途中だ。


“証明されたこと”や”論文がでたこと”はひとつの事例であり、絶対的な過去ではない。

そんな考えで生きている私だが、今日は時間を取って自分の過去をなるべく事実のみを吸いあげる形で書き出してみた。(なるべくよいと感じることだけ

1日13時間勉強を2年間、2,000名を超える企業におけるCSR活動の代表、東大入学と卒業、センター英語の試験で満点、東大現代文で満点、バックパッカー、トライアスロン、ドラム、ボーカル、人材業で二つの企業で最も成果を上げる、哲学書を読書、自殺に関する卒業論文執筆、オンラインMBA Basicの修了、Courseraでいくつかのコースを修了、Acumenで同様、Udemyで同様、支援活動、NPO団体結び手およびアメグミインド法人立上げ、バーガー大学開催

こう書き出してみる自分史を見返してみても何も誇らしくない。

あくまで個の人生は“これから“に規定されると考えているからだ。
ましてひと様が見たらなんとも一貫性のない人間の様に思われる。

自分で考えて選択したことも一部あるが、ほとんど直感の様なもので決めており、後で人に伝える際に適切な言葉で自分史を論理化しることはあるが、極めてその時の直感で決めてきている。

私は人間の論理的思考力・理性などたかが知れていると思っており、それは悩んだことを考えるべきことに変える際、それを進める際には大いに役に立つと思うが、それ以外の価値は極めて低いように想う。

人間は理性的な動物などというのは人類のエゴだと思う。

文明を築いてきた“過去“にすがり、その基盤に立って人類の倫理で”ほかの生命体を保護する“というエゴを創り出し、金や名誉や権力や自己肯定感を追い求めて生きていくしかないのだろうか。

自己肯定感の高め方は自己が過去の自己を規定できると判断しているその能力に疑問を持ち、自分にはその様な能力がないとしてしまうことだろう。

自分で自分を理解できていると、考えられていると想えるようになるには神にでもなるか、主体的には何もしない、他人とかかわらない時間を幾年か重ねることでもしないと難しいだろう。それほどまでに私は人類の能力については疑問を抱かざるをえない。

関係ないのだが、それにしてもあらゆるエンタメは多い意義を持つだろう。

外的要因による死の恐れが少ない世の中になってきたらその先はエンタメであり、かなり多くのことがエンタメ化してきており、今後もそうなるだろう。

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