思考の跡10

生きる

自分という道具を使う その道具が何か言ってきたら うるせぇ奴隷が と言っておいてこき使う 道具としての価値を高めるために磨き上げながら

自己としての生と向き合わずにきてしまうと しっかりと悩むべきことを悩めていなかったんだと今更ながら思う なぜこの生まれて死ぬだけの大した価値のない自分に悩むだけの価値があるのか などと全く的外れな思考を始め出す これはもう自己の生とは呼べないのでは無いのだろうか

インドに長く住んでてすごいですねぇ 私からしたら地球に長いこと生存されていてすごいですと思う なんだかエイリアンみたいなことを言ってますが 社会孤独と向き合っているとエイリアンとして見られた方がまだマシだとも思う訳で 同じ人類であるはずなのに などと悩み苦しむ必要がなくなる

あなたは1人じゃない きっといつかよくなる 大丈夫 そんな言葉たちが虚しく空を舞う しっかりと掴みにいかないといけないのだろう 何も誰も信じられないあなたもまたそうでするように

擦り減らして削ぎ落としていった結果 最低限努力できる環境かどうか それだけに絞った その後は運も何もかも人間が人間としてもつ無意味な要素が交わりを見せているので入りたくはない社会 社会孤独

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