思考の跡15

生きる

インドの人たちから絶対的に見捨てない存在として貧困に取り組む存在として在り続けることの価値を伝えられると何故私程度がと思うと同時に当然ながらそうではない存在が大半であるとは思う。ただ無価値な人間でありたいと切に願っているのだが。

尊敬する点はその理想と行動の一部のみであって人物を尊敬しているわけではなく、事後の活動に関しては全くの混迷とまで思てしまういわゆる偉人とされている人物も多いのだが ただひとつの出来事で人は人を偉いなどと言ってまわることでやってきているというのもまた事実

明らかにに言っていること、考えていることが 実際にやっていること、やれていること をはるかに超えている人間だと自覚しているが その自覚が何とか私の生を保つことができる理由なのだろうと思う

我思う故に我あり 思う主体たる我の存在を問うているのにそれを前提にしている すなわち思うという行為主体が在るという矛盾を カビの生えた議論をしながら 灰皿を投げ合って酒を飲んでいたい

とりあえず日本は世界に先駆けて人口減少とそれに伴う課題にせっかく直面しているのだから こぞって若者はその解決のための”起業”をすりゃいいと思うんだが 他国への輸出を考えればそこ外す意味が分からない 勝てるでしょ日本 やりたくないだけなんでしょ? 真剣に課題と未来に向き合わないから

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