社会課題を解決するのは何か?
社会課題を解決するために必要なものは何だろうか。
敢えて抽象的に一つの要素を挙げるとすれば私は“想像力”だと答える。
ではその想像力とは何か?
それは“その人を生きた人間であると想う力”だと考えている。
簡単に言えば、様々な課題があると言われている中で、その課題を抱えている人が“実際に生きている人である”と想う力だ。
貧困・差別・暴力・戦争・災害などの被害者の方が“実際に生きている人間”であると想うことができる。
しかももう一歩進めて、その人間が私たちと全く同じ“この地球に今同じ時に息をしている私と全く同じ人間”であると想う力こそがあらゆる課題を解決するための力だと考えている。
課題を抱えている人間がもし私たちと全く同じように今を生きているとするなら、さらにその人が全く同じ空の下、時間を過ごしている人間であるならどうだろうか。
その人は少しずつ身近に感じられないだろうか。
このことも重要だ。
キリスト教では隣人愛という言い方をされるため、この言葉を使うとどうもキリスト教色がするので避ける。
ここで私の言う隣人とは、“想い描く限りの人類”のことであり、それは隣にいる人ではない。
想い描くことができる人類を“隣人”であると捉えること、その人を友人・家族・仲間だと想うこと。
それができれば、差別を受けている友人を、迫害を受けている家族を、暴力を受けている仲間を放置するなど困難なことだろう。
どうにかしようと、自分の利益を度外視して助けようと努めるものだろうと考える。
この言葉はあまりに人類に期待しすぎだろうか。