寄付の影響
何か影響を与えるとき、必ず考えなければならないことがある。
「どこの誰にどの様な影響をいくら何に使って誰とどの様にしてどのくらいの期間で何に注意しながら及ぼすのか、その結果誰がどのような状態になるのか?」
これらの問いの一つでも明確に答えられないなら私は何もせず昼寝でもしていたり何の役に立つのか全く分からないような難解な本を手にして「はぁよく分からないなぁ」と言いながら時間を潰していたい。
寄付をすることでこれらの影響が考えられる
現地の人の生活水準が上がる
現地の人の生活水準が現状のまま
現地の人の生活水準が下がる
生活水準という言葉には多くが含まれているがここでは敢えて簡単に生活水準とだけ記しておく。
私は寄付をお預かりし、教育の機会提供を主軸に活動している。
読み書きや簡単な計算ができずに詐欺・賄賂・予防できる病気にかかる・仕事に就けない・大学に行けない・オンラインで学べる一切のことが学べない
そんな状況下で努力をして目標を達成することは極めて困難・不可能に思え、その状況を放置しながら私の私的人生を送ることは耐え難いので活動している。
ただこの活動もマイナスの影響もある
今物乞いをして稼げるかもしれないお金を稼ぐ機会を奪って座って勉強させる
全員に平等に機会を与えるには金も人も足りないので不平等が産まれる
ガイジンが何か助けてくれるという怠惰な心を育む可能性がある
当然これらを認識しながら、留意し、バランスを取りつつ外部環境が原因で努力できない人がいない世界のために放置せずに取り組んでいる。
教育の先に仕事の機会を提供すべく英語とネットがあればできる仕事も提供し始めている。
それらは寄付をしてくださる方が私を通して与えている影響だと考えている。
だからこそ私の責任は重大。
私が実施しないことの一つに現場を自分で見ないで何か活動を開始する、モノを渡す、建物や井戸を建てるという活動がある。
中心部から近くて寄付者やボランティアが行きやすく、かつ貧しそうに見える村では井戸が大量に寄付されています。
寄付者に対して短期的に成果報告をするという観点だけを取れば建設やモノの提供はたやすく、より多くの寄付を得られているようだ。
ただこれによって慢心を育む活動、土地の急激な高騰などを引き起こし、現地コミュニティに対して与える好ましい、目的に沿った影響を与えるよりもそうではない影響の方が大きいのであれば私は決して実施しないし、反対する。
寄付者の想いも現場の期待も根っこでは裏切るような支援は反対で、それはさらに言えば外部環境が原因で努力できない人を、怠惰の助長という観点では増やしていくことになる。
誰かがどうせ助けてくれる
ならそこにすがればいい
読み書きなどできなくてもいい
貧しいけどどうにかしてくれる
その気持ちを助長していくことには断固反対する。
固有名詞は出さない。(まだ)出さない。
それをしたところで何か価値ある影響を出せるとは今のところは思えないから。止めることもできないだろう。直接個別に伝えることはしているが。
寄付をお預かりして活動するNPO法人の代表だからこそ堂々と言わなければいけない、またそれが私の責任だと考え、記載した。
小さい存在のお前が言って何になると言われればその通りでそれは私の努力不足に過ぎず、「がんばれ」ということでしかないのだが。
いずれにせよ世の中に酒と音楽とコーヒーとタバコと難解な書物が存在していてよかった。