寄付・支援の失敗事例

社会活動

私のもとで活動してくださっている方が自らの行動によって起こしてしまった「寄付の失敗」をその想いとともに共有してくださいました。

あらゆる意味での寄付・貧困支援・国際支援に関わる方、そうでない方にもぜひ時間を取って一読いただきたいと考え、こちらにて投稿いたします。

そのボランティアの方の将来、寄付先の村のことを考え、匿名とさせていただき、管理者である私、代表理事福岡の失敗であること、責任が大いにあることを捉え、その意味でも私自身がいかなる”評価””批判”をうけようとも、善意による「課題を増やす寄付」「課題を増やす支援」を1つでも止めるため、公開します。

この事例を表に出すこと、共有することそのものが今後繰り返さないための施策でもあると考えております。それが管理責任でもあると考えています。

当然起きてしまったことは巻き戻せません。できることはイマとこれからどう生きるのか、どう関わるのかです。

私自身もコロナ前よりこの地域に関わり続けていきます。

以下本人の表現、思いを尊重し、基本的に文章をそのまま記載します。

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「その人を助けたい」っていうピュアな気持ちから生まれた寄付が、助けたい人を実際には困らせてしまう、負の影響を与えることがあること。生活を大きく変えてしまうかもしれないこと。

そんなことよく分かってたし、私はそんなことしてないしって今日まで思ってた。なんなら、よく分かりもしない団体に寄付するだけして気持ちよくなってる人を見て軽蔑してた。

こんな風に考えていた私は無知だったと思う、それを知ることもできてなかった。 

インドに来て1ヶ月、私が活動させて頂いてるNGOで職業訓練してる女の子達全員の名前を覚え終わって、だんだんみんなと仲良くなって、本当にその子たち全員を大切に思い始めた。

そんな頃に、私に沢山現地語で話しかけてきてくれて、いつも笑顔でみんなの輪の真ん中にいる18歳の女性は服を2着しか持ってないことに気づいた。

その女性は私にいつも笑顔を向けてくれて、私を輪の中に入れてくれて、いつも私に優しさを与えてくれる素敵な子だったから、私からも何か女性にお返ししたいと常に思ってた。その思いが本当にすごく強かった。もし困ってるなら力になりたいと心の底から強く思って、その話をNGOの代表に相談した。

そしたら、代表がその女性に4着新しい服を買ってくれるドナーを探そうと言い出した。

今でも覚えてる、センターからの帰りの車の中で代表からドナー探しの話を聞いて1秒で「私が払うよ」って言った。彼女を助けたい思いが本当に溢れるくらい強かった。それで私が生まれて初めて誰かのドナーになることが決まった。

元々インドに来る前、バイトを一生懸命してお金を貯めたのも、インドでどうしても金銭的に助けたい、見捨てられない子がいたら、迷う暇なくすぐに助けてあげられる状態でいるためだった。

ドナーになると決めた時、自分がその子を少しでも助けられる事実が嬉しかったし、誇らしかった。人助けをできることで気分が良かった。

でもこの時私自身は、なんで4着なのか、どういう流れで彼女に服をあげるのか、彼女の実際の家計状況、彼女の住む村の状況、彼女の両親の考え、さらに彼女自身のこの寄付に対する考えを何も知らなかった。

センターで毎日顔を合わせてたし、その女性とはもう友達だった。色んな人の話を聞きながら「ここにいる女の子たちは全員凄く貧しい、助けてあげないといけない」と把握してた。だから、私は寄付するには十分現状を認識してる、私がする寄付は軽率なものではない、そう思ってた。

実際に寄付をする日はすぐきて、職業訓練が始まる少し前の朝9時半、センターの近くの街の服屋さんに私、代表、マネージャー、その女性の4人が集まった。店内で好きな服を4着選んでいいよと代表がその女性に伝え、女性は普段着てるような装飾が全くない服じゃなくて、小さなスパンコールが4.5個付いてる、普段よりもほんっっっの少しだけ豪華な服を選んだ。会計は2845ルピー、私からしたら大した出費ではなかった。

その女性は「今まで誰かに自分のことを気遣ってもらって何かを買ってもらったことが無かった」「本当にありがとう、本当に嬉しい」と私の手を握りながら何度も言ってくれた。

今まで感じたことがない位心が温まったし、寄付して良かったと本気で思った。

母や友達にもこの話をして、みんな「いい寄付をしたね」「よかったね」と言ってくれて、服を買った日から一週間くらいずっと心がぽかぽかしてた。

でも、服を買って二週間も経たないうちにその女性が職業訓練を突然辞めてしまった。後一週間で訓練課程を終え、卒業証書を貰えるはずだったのに。

私がスタッフに理由を聞くと「最近の雨季の影響で、女性の家の天井が落ちてきたんだって、だから急にお金が必要になったんだよ。無給の職業訓練よりも家族で街に出て仕事をする方を優先したいんだって。」とのこと。

その女性は私のお気に入りだったし、加えて誰よりも成長が早くて優秀だったから、将来この訓練を活かしてテーラーの職を得られるだろうと思ってた分、寂しかったし、残念だった。でも、理由がやむを得ないし、納得できてしまったから、それ以上私は何もできないと思って女性を引き戻すことは諦めた。

女性が辞めてから今日まで、時々彼女のことを思い出しながら、「彼女は大丈夫かな〜元気にしてるかな〜」とか「私があげた服を着て頑張ってくれてたらいいな〜」とか「インド去る前に一回だけ会いに行きたいな〜」って呑気に寄付の余韻に浸ってた。

服を買った日から3ヶ月位経った今日、仕事を終えて、代表と車で帰っていた時、本当に本当に本当に偶然、町でその女性と女性のお母さんに遭遇した。

沢山人がいる町で女性に会ったのは本当に奇遇だった。

私は久々に女性に会えて嬉しくて嬉しくてニッコニコだったけど、2人の表情はそんなに明るくなかった。

代表と2人が私が理解できない現地語で何か話してる間、直感で「あ、何か悪いことが起きたんだな」と察した。

2人と別れた後、代表が車の中で、重い口調で言いづらそうに、でも慎重に女性の話を翻訳してくれた。

女性に服を買ったあの日、買った服をセンターには持っていけないから、服を女性の家に置くために、服屋さんから直接代表の車で女性の家に女性を送った。

家の前の通りで女性は服が入った紙袋を抱えて、代表の車から降りて、家に入って行った。

この場面を1人の村人が見ていた。

次の日から女性の服は急にレパートリーが増えて、少し豪華になった。雨季で村のどの家庭もお金に困るはずのこのタイミングで女性は急に華やかになった。

その村人は「彼女はセックスワークを始めた。この前の車の男運転手が雇い主。最近服が華やかになったのも、カラダを売ってお金を得てるからだ。」と推測した。

私が服を買った3日後から、村中に女性の噂が広まった。

その女性のお母さんは近所を一軒一軒回って、必死に「彼女と仲がいい日本人の女の子が買ってくれた」と弁解したけど、もちろん誰も信じない。信じないというより、真偽なんて気にしてない。

最終的にどうしても噂は無くならなかったから、その女性のお母さんは女性を職業訓練に行かせず、家に閉じこもらせている所を村人に見せることで、噂を否定する方法を取るしかなくなった。 

女性のお母さんは3ヶ月越しに女性が訓練をやめた本当の理由を代表と私に話してくれた。

その女性は職業訓練を辞めることになった、私の寄付のせいで。

確かに天井が落ちてきてお金が必要だったのが辞めた理由の大半ではあるけど、決定打は私の寄付が起こした噂だった。

衝撃だった、私がこの3ヶ月間寄付をしたことで気持ちよく暮らしてた最中に、彼女は辛い時間を過ごしていた。

村で性的な噂が流れることは未婚女性にとっては致命的になる。お見合い結婚が九割の彼女のヒンドゥーコミュニティでは、女性は妻として選ばれる際、処女性は必須事項とされる。処女性を欠いてしまうと、結婚できないか、「質の低い」旦那を取るしかなくなる。

私は大好きな彼女から、テーラーとして経済的に自立する未来も、良い結婚生活も奪ってしまった。

18歳の女性が近々させられるであろう結婚、彼女の人生の約3分の2を決めると言っても過言ではない結婚に悪影響を与えてしまった。

彼女が仲良くしていた職業訓練仲間にも会えなくさせてしまった。

彼女の生活と人生を変えてしまったのかも知れない。

本当に本当に本当に申し訳ない。申し訳ないという言葉では足りない。

代表からドナーを探していると聞いた時、すぐに飛びついてしまったのを後悔してる。

寄付により女性に生じるあらゆる可能性を考え尽くすことなく行なった軽率な寄付。

彼女の村にとっては、新しい服4着は「やりすぎ」だった。「身の丈に合わない」寄付だった。

私は寄付の話を持ちかけられた時点で、本当に「4着」でいいのか、その寄付は彼女の生活の内に、彼女の村の人たちの価値観の内に収まる程度の寄付なのか、彼女に悪影響を及ぼすことがないのか、もっともっと深く考えるべきだった。

私は実際にその女性の現状をもっと深く知って、彼女の村の温度感を体感して、彼女の寄付に対する意見も聞いた上で、一度立ち止まって経験と知識を使って、寄付の是非をもっと熟考すべきだった。

軽率な善意は悪意に変わってしまうことがあることを学んだ。

軽率なエゴを満たすための寄付は時に相手を不幸にする。

前調べ、経験、知識、情報に基づきながら、支援が与える影響を面倒くさいくらいに考え尽くした果てに支援をするのが支援者の責務であると学んだ。

反省してる。ごめんね。

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