戦争の止め方

社会を考える

戦争が起きた時、反対もしくはどちらかと言えばやめて欲しいと思う人間が48時間何もしない。

これだけで戦争は止まる。

48時間という時間に関しては1時間かもしれないし120時間かもしれない。

重要なのは”何もしない”ことをするということ。

さながらコロナ禍の時のように外に出ないということに加え、仕事に行かない、家での仕事もしない、買い物に行かない、ネットを使わない、電話を使わない、テレビを使わない。

家族や同居人と話す以外のことを何もしないという選択を取る。

そうすることで戦争を、同種である人類殺しをしたくてやっているわけではなく、政治、宗教、経済、文化、歴史等のために戦争をしている人はその目的を果たすことができなくなる。

一才のメディアは影響力を失い、そもそも発信することもできなくなり、メッセージを伝えることができなくなる。

戦争に必要な食糧、ガソリン、武器、その他一才の供給は途絶える。物流会社も食品会社も何もかも止まる。

これだけでも十分に戦争を止めることができる。

戦争の目的を果たすことができないどころか戦争を止めたいわけではない人間の生活さえ脅かされる。

同時にこの方法は実施を権力者たちが一斉にアナウンスすることで抑止力につながる。

それは戦争を始めることで「戦争を止めたくない人間が露見する」からだ。

戦争に反対、できればやめて欲しいと考える人類が何もしないことで、戦争が起きた時に何かをしている人間はすなわち「戦争に賛成」な人間であると言える。

当然この施策を実施することにはいくつも大きな、とんでもない壁がある。

第一にそもそもの事実として人類史において人が人を上記の背景を持って権力ために殺さなかった時代を見つけることはできない。この事実が諦めたくなる第一の壁。

個人の生活に落とし込んで考えてみれば、例えば72時間何もしないということは学生であれば単位を落とす、会社員であれば仕事を失う、経営者であれば会社が倒産するリスクなど考える大きなリスクをほとんどすべての人が持ち得る。

このことは言わずもがな戦争を止めるための大きな壁であり、平常時の民主主義体制のもとでは誰もが責めることが極めて難しい。個人の幸せは当然に尊重されるべき。戦争で他の人が他の人を権力等のために殺していようとも。

最後にこの施策が絶望的に難しい最大の理由を。

それはこの施策を施行できうる人間が権力闘争の渦中に常に晒され、自身の権力を失うリスクがあり、闘争を望み、場合にとっては間接的な土地も含めた武力行使という手段を取る。

そのような人間が戦争を実施する場合、自身が「何もしない」ということをしないという行動を取る。

その結果、「戦争を起こすことができる人間が戦争に反対しない人間として吊し上げられるリスクを取る訳がないために”戦争に反対する者、もしくは戦争をできればやめて欲しい人に対して何もしないように規制を出す、ルールを敷く、命令する”ことをしない」

よってどうしても上記の施策一才は幻想だと理解している。

ただ、私はこの幻想を実現するために何もしないという選択を取ろうと思う。

私が何もしなくて困る人間などほとんど1人もこの地上にはいないのであるが。

タイトルとURLをコピーしました