日本について

社会を考える

2021/12/25~2022/2/3までの期間日本に滞在し、幸いなことに各地で様々な方にお会いし、見聞きし、考えること多く、考えをいつも通り、伝え方を無視してお読みいただく方の理解力に一切を委ねて、纏まり無く書いてみたいと想う。

まず改めて感じたことは“私が活動する価値の少なさ”である。

それは今後も含めた私個人の力を卑下したり謙遜したりするものではなく、“外部環境が原因で努力できない人”、“産まれた環境が原因で努力することが出来ない人“に対して”課題”として捉えられ、団体・個人が有名・無名に関わらず活動していると感じたからだ。

とりわけ物理的な面は言うまでもなく、恐らく餓死している人や、性別、年齢、産まれた土地を背景としてあからさまな差別的行為が行われている場合は“課題”として捉えられ、誰かが何かしらの影響を及ぼそうと活動しているように思われる。

子供が売られることも、女の子が産まれたら家が破産すると悲劇的な顔をする親も、身分が違うからと殴られることも恐らくほとんどないのが日本社会だと想う。

恐らく、血気盛んな若者も、個人的な行動により暴力的な事件を起こすことはあっても、徒党を組んで多くの血を流すという機運はしばらくはあまり産まれないように想われる。

もちろん高貴な方が学習院に通われていることの様なある程度の差はあるだろうが、だからその方が地方の村産まれの友人を、ただそれだけで殴るようなことはあまりないのではないだろうか。少なくともそれが起きたときには周囲の大人は止めるだろう。

精神的な面についてのある種の安心をも覚えた。私が大学時代に東京大学文学部思想文化学科宗教学宗教史学専修課程といういかにも面白そうな場で最もその研究対象として選んだ“自殺”に関して、直接的・間接的に、できれば誰一人自分で自分の命を絶つ行為をしなくて前向きに悩みながら生きていられる最低限の社会を創ろうとしている取組が見て取れる。

直截的な自殺予防活動はもちろんだが、食料支援を通して若者と繋がり、精神的安定を施していたり、学校社会で悩みぬいて行為をしてしまうリスクに対しては“個性尊重”というまるで錦の御旗を掲げたかのようなレッテルと共にそろって有償・無償問わずサービスが行われていたりしている。
皮肉な書き方で上から目線なのはもう致し方ないが、基本的には評価している。

もちろんみんながみんな行動を起こせばいい、好きなことだけやっていればいいとされ、全員が一人残らずそれを実施することは実現しえないと考えているが、少なくとも、“私が私のままでいい“と思いながら生きることはある程度においては自殺に至る道を封じる活動の様に思う。

かつて課題とされていたことへ取り組む方がおり、その中でまた産まれる課題へ取り組む姿勢も産まれ、課題は細分化され、レッテルを貼られ、解決へと向かおうとしている。さらにその産まれる仕組みそのものを如何に解決するかという抽象概念を課題当事者が考え、活動する例もみることができる。

“日本はみんな揃って貧乏になればいい”の様な言説もよく耳にした。これは私の中では“日本はみんな揃って経済大国ではなくそこそこの国の住民として生きればいい”と言っているように聞こえる。“貧乏“”貧困“は、私の中では食べることができず、また学ぶこともできず、そこから脱出するいかなる手段も閉ざされ、夢も希望もありませんという状況であるが、果たして今の日本で、例えば実質GDPが世界30位になったとしてこの様な状況なるのだろうか。


普段“国”単位で物事を捉え、語ることを忌避する性分で、私は私を非暴力的急進左翼で自由主義的な考えなのかと捉えているが、今回の滞在では日本に産まれ、日本に生き、日本の社会に生きる方と触れあう中、どうしてもその外と中との区別をしている方の意見に触れることになったため、このようなことを書いている。

私はそれ(日本という国の課題)を放置しているわけではなく、あくまで私の中でより許せないと怒りを覚えながら活動する地・状況を主体的に選んでいるに過ぎない。

放置しているのであればそもそもそれらに言及すらしないだろうからこの文章自体が放置していないことになると信じたい。

以下、日本での出来事や活動、お話したことを一部残しておきたい。

①三島由紀夫

帰国した瞬間一番うれしかったのはこれ。

東大対全共闘が何度も見れた。VPNだとかなんだとかの細かい話はおいておいて。

実家の映画館で父と観たときは7割ぐらいしか理解できなかったけどすべて良く分かった積りにはなれた。

また、新宿のどん底に行けたこと、万を持して豊穣の海全巻を購入したことは自分の中で次への覚悟を決める上で割と重要だと感じた。

まだ新橋末げんと市ヶ谷には行っていない。

少し覚悟が足りないのと運よく行けてない。

②インドでお会いした方経由での再会と日本で活躍するNPO

日本で同年代の方が運営する大きな認定NPOの運営の方とお会い。

そのご縁はインドでお世話になっていた駐在員の方からのご紹介でお世話になっている方からのご紹介。

このインド元駐在の方からご紹介いただいた方とはまず六本木でご一緒した。

寄付と善と私の活動や思想に対して具体的な質問を投げかけていただけたり、情報をいただけたり、おすすめの映画や本、人物をご紹介いただけたりと“有難い”という言葉ではあまりに薄く感じるぐらいのご縁。

個人的に寄付をしてくださっており「人への信頼」があるというお言葉をいただき、また後援会や何を発信すべきかなどのヒントを多くいただいた。

その方のご紹介でお会いしたNPOの方。

元々SNSやネット情報で知っていた方。シンプルに発信されていることが多い中、その真意や現場での活動のこと、広報のことなど現場にいて私も直面する、またこれからするであろうことに対してのお考え、経験をお話いただけた。

その深淵をお伺いし、確かにこれは行政や民間ではなくNPOが担うことだと理解したことは大きい。もちろんNPOでないとできないわけではないが、手段として他2つよりも有効だとは思う。

③千葉の医師

直接お会いすることはかなわなかったため、オンラインで。

昨年新たな挑戦をされた方で、私も昨年NPOを立上げたことから勝手に親近感を抱いている。

早速コミュニティの中で重要な役割を担われており、技術的な医師としての役割そのもの以上に信頼を得たり活動したりするその在り方、さらに若輩者の私に温かい言葉をいつもかけてくださるやさしさにはとても嬉しく想う。

またインドか千葉かどこかでお会いしたい。

④NYぶりの再会と園監督の映画

恐らくほとんどの人が知らない園子温監督の作品“ハザード”が一番好きな映画である私にとって園監督の作品を日本でみられるのはかなり嬉しい。

さらにそこに2014年、あらゆる意味で無目的で放浪していたバックパッカー時代にNYの安宿で出会った方が出演しており、直接お会いできた。

言葉にならない感動を抱き、言葉を失い、ただ嬉しかった。

あの時のあの人がこんな形で活躍されていてとても嬉しかった。

⑤ジャイビーム監督との出会い

インドで大変お世話になっている方からのご紹介で尾道にてお会いできた、ジャイビームの監督。

佐々井氏に直接お会いし、言葉を交わした者同士での会話はそれだけで面白く、その温かいご家庭、元気なお子さんたち、素敵な家、ご夫婦のお人柄に囲まれて“幸せ”というものを勝手に感じていた。

恐らくインドにいらっしゃるのでまた今年ぐらいに再会できるのでは?と勝手に思っている。

⑥関西での講演

女子高での講演をさせていただいた。とても素直で、まじめな生徒さんばかりで驚いた。私が90分ほどひたすら話すというものだったがメモを取ったり、感想を買いていただいたりした。

その姿勢に“大和撫子”という言葉を勝手に連想しながら、この“これから”を共に築いていく方と空間・時間を一緒にできたことが嬉しい。

私の言葉によってもしかすると何か悩んでしまうこともあるかと思う。それが一般的に間違った選択へと繋がってしまうこともあるかもしれない。

とはいえ、今回その企画をしてくださった担任の先生とお話する中で、この様な指導者の方のもとであれば悩み、考えることは大いに結構なことであるように感じた。

生徒のためを思い、ひたすらに向き合い、自分の仕事を増やしているカッコいい先生。

⑦インドでお会いした方の自宅にて

すっかり東京の家として泊めていただいており、私のお笑いの師匠。

とにかくボケについて勉強になる。

しかし今回は私も狙って何度か笑いを取れたので合宿の成果が出ている。

日本円の稼ぎが無い私にとって東京に泊めてくださる方がおり、しかもお笑いまで教えていただき、勝手に兄弟かイトコぐらいの様に感じている方。

ありがたい。

⑧結び手

この様な中で少人数となったがご飯を一緒にできた。

長野在住の方とは初めて対面でお会いし、中学時代インドで過ごした話、メキシコで働いた話などは面白く、また素敵な優しいお人柄で、結び手にいる人は全員何かしら不思議な経験と穏やかな人柄と一般的に言って“変わってる”人ばかりでとても好きです(笑)

⑨結婚式

帰国の目的。私の中では大学の後輩の中で一番親しくしており、また優秀だと思っている人。大学ではお互い苦労し、それぞれなかなか腹を割って堂々と生きることが出来なかった。その中で彼と喫煙所で会う安心感や、お酒を共にしながら将来のこと、大学のこと、本のこと、マンガのことなどについて語り合えたことはとても私にとっても嬉しかった。

俺がいなければ“大学は暗黒時代”だったという言葉をメッセージとして言っており、何言ってんだと思いつつ、その感覚もよくわかるなぁと感じていた。彼の家族、特にお母様とも何度もお話したことがあり、結婚式では彼が結婚することを本当に嬉しく思うと何度もお伝えした。感極まった。

その後二人で飲む機会もあり、仕事のこと、哲学のこと、教育のこと、家族のこと、スマブラのことなど、社会的にNGな内容盛りだくさんで腹を割って話せたことに大学時代のなつかしさを感じた。

⑩親族

今回、私の実家と群馬の義理の実家に行けた。

妻のお陰もあり、義理の祖父母が私の社会活動をしている様子を動画でも見てくれており、

“こんな田舎にいて何もできないけど、洸太郎さんにご飯を食べさせることがその先の活動に繋がり、社会貢献をしているようで嬉しい”

という言葉をいただいた。身に余ると同時に、まさに私がやりたい活動の一輪であることが始まったと実感した。私は“外部環境が原因で努力できない人”をゼロにすると同時に、現場から遠く、“何か支援したくてもできない人”をゼロにすることを、その中間にいる、“現場で活動したいけどできない人”をゼロにすることが目標である。

両輪という言葉はあるが、この3者いずれもをゼロにする活動をすることがいずれの人にとってもよい形になる、さらにはより早く大きく課題を解決することに繋がると考えている。

そのため、今回いただいた言葉はとても大きな一歩になった。

今、インドに戻り、これからまた現場へ出ていく。

タイトルとURLをコピーしました