外部環境が原因で努力することができない人とは

社会活動

~インドを選んだ理由とともに~

私がよく使う言葉として「外部環境が原因で努力することができない人をゼロにするために機会を提供する」という表現がある。

元々は実は「誰もが生きたい場所で生きて働きたい場所で働けるような世の中」を目指すために自分の人生を使おうかと思っていたこともあった。

ただある時からその想いは裏返されるように「努力することすらできない」「目標を持ったとしてもそれを外部環境が原因で諦めなければいけない」「生きたいのに生命活動を維持することができない」という人に対して何かしなければいけないと感じるようになった。

それは私自身が具体的にこの生の中で触れ、接し、楽しみ、笑い、喜びを分かちあってきた人の状況がまさにそれであったからであり、もうそれはほとんど私自身の状況の様にさえ思われているからである。

もちろんこれは比喩にすぎず、私は今まで努力したくても諦めたことも、目標を外部環境が原因で(言い訳にして)諦めたことは無い。辞めてきたことはあくまで自己の自由意志のもとで辞めてきた。

そうではない「友人」がいることは私にとってはとても許しがたい怒りの源であると同時にその人を放置することは私の私に対する責任の放置であると考えている。

差別・虐待・人身売買・水が無い・栄養不足・教育ゼロ・飲酒とドラッグ・賄賂・汚職・仕事が無い

この様な状態で生きる人間と私という人間は、全く同じヒト科ヒト属としてこの地球と呼ばれる場所に住み、全く同じ空のもと、同じ時を過ごしているのであり、しかもそれは「友人」だ。

どうやって放置しておけばいいというのだろうか。

簡単に言えば「だちが困ってんのに見捨てんのかよ」という言葉を自分に投げかけざるを得ない。

もちろんその状況の濃淡は様々で、国や地域、村、家族によっても大きく異なる。

その様な異なる状況が世界中にある中で、なぜインドと呼ばれる国を最初の活動拠点としたかについては割と頭で考えて決めた。

ちなみに前提として私はここに生きる人がとても好きです。外から来た人間に対して心を開いて接していただけるここの人々はとても居心地がよく感じます。

またインドの方はインドをとても好きで誇っていらっしゃる方も多いように感じ、その様な方に対して失礼があれば申し訳ないが、あくまで私の勝手な考えですので了承ください。

・発展しているイメージと名目GDP5位という状況(国民1人当たりGDPとの差は世界1位なのではないだろうか)

‐国が発展してきており、ITを初め強く発展したインドのイメージが名実ともに広がると政治的もしくは大きな団体による国際支援は入りにくい。一方で私の様に政治的に何のしがらみもない小さな人間でもできることがあるのではないかと考えた。

・カーストを背景とした放置の可能性

‐カースト自体が悪だなどとは決して思わないし、そんなのガイジンが勝手に騒いで判断していいものではないと考えている。ただ、背景として「あのカーストだから仕方がない」という想いとともに放置されてしまう人がいるのではないだろうかと勝手に想像し、かつガイジンである私はそこにとらわれることなく活動することができると考えた。

・絶対的な人口の多さ

‐人口の多さ、とりわけ若年人口の多さはよく良さとして語られることがあるが、そんなに単純なものであるはずはないと思う。将来的に相対的にかつ経済的にはプラスの側面が強いというのはうなづけるが、今を考えるとそうは思えない。市場・雇用が不足し、一方で技術が発展する反面で教育水準が追い付かないことから労働市場にアクセスしたり起業して家族を養うことができる層は場所によっては減っている。今までスマートフォンなど使えず、文字など読めなくてもできていた配達員やドライバーという仕事は都市部ではとりわけ難しくなってきている。せめて読み書きそろばんはできるようになっておかないと何かを目指すどころか巧妙ですらない詐欺にも引っかかってしまう。このような状況に対して“今すぐに‘アプローチして将来に備える必要があると考えた。

実際に活動を少しずつしてみると、たかだかインド5年目の若造で特に何も持たない人間である私ですら「できること」がある。これは実はいいことでは決してなくて、それほど放置されており、シンプルなことで私程度の人間ができることが残されてしまっているという事実にほかならない。

むしろ残念にさえ感じる。

私が自分のできることを増やしながらできることをやるというのは大前提ではあるが、あまりに多いと感じる。

お金があれば、情報があれば、共に動く人がいれば今すぐにあそこでこれをするということすら多くある。

雨や灼熱を防いで人さらいにも合いにくい安心して勉強する場所を創ってテキストと文具と先生のお金をサポートすることも、不衛生な水を今も飲み続けている村に何かしたらの簡易浄水施設と定期的な水の購入支援をすることも、余命10年の子供に可能性がないか異国も含めて医療アクセスの可能性を提供することも、職業訓練の機会を提供することも、金融リテラシーを付ける機会を提供することも、誰かに放置されていないと伝えるために私以外の人も現場で友人と抱きしめ合い語り合うことも・・・

ある意味で他人に期待しない私は私の身を手段としてこの様な活動をし続ける。

ありがたくもこの様な想いや活動に共感いただける方が増えてきており、影響を与えることはとても怖いことだと思うけど、目的のためにご一緒できる方々には感謝しております。

引き続きこのような活動をまずはインドで早く大きくかつ慎重に丁寧に実施していくため、寄付・人脈のご紹介・情報のご提供・ボランティア等できる範囲とタイミングでご一緒できますと幸いです。

私の感覚として、その様な方々に私という身を使っていただき、共に「外部環境が原因で努力できない人をゼロにする」というものがあり、この想いと世の中、人類史において私の知りうる限りまだ達成できていない大層な世の中創りにご一緒できますと幸いです。

支援いただける方はこちらからお願いいたします。

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