行動学

学び続ける

まず第一に思い浮かぶのは勃たない夜

いかなる女性であろうと、その容姿、関係性に関わらず初夜の緊張というのは何度営みを経験していても訪れることは男性であれば理解できるだろう。

その中で勃たない夜を経験する男は多い。

どれだけ入念な準備をしても”いざ”という時には相手のいかなる要素を問わず残念な結果に終わる。

女はそのような時決まって早く早くと手を動かし、余計にその可能性を奪い去っていく。

そのような時はいつも以上に丁寧な互いの心身における会話が必要であるにも関わらず互いの高揚と諦念と期待とが混ざり合い、互いが互いの可能性を奪い合う。

とはいえこの一夜によって関係性が、とりわけ肉体的な関係性が崩れ去るということはあまりない。
一度身体を預け合った以上、精神的には次の準備はできており、それはその後の会話によって如何様にでもなる。

そしてそれは次に繋がり、2回目以降はほとんど必ずと言っていいほど成功する。

待機、準備とその先にある一瞬の行動とその終結、そして次への期待と成功がある。

しかし実際の社会的行動というのはこのような2人の人間関係のもとでは動いてはいない。

必ず第三者の存在が前提となっており、例えば二者間の会話によって物事が進んでいるように思えてもその背後に無数の他者が存在している。

そのような社会における行動を想定するとき、一度めの失敗は避けられなければならない。

それは二者間の選択の範囲を超えて影響を及ぼし、行動の受け手に対して行動の主体から離れるという選択肢が常に想定されるからに他ならない。

当選夜の営みにおいてもそのような他者存在は前提となっていないわけではない。不倫や浮気を思い浮かべれば想像はいとも容易い。
ただこの関係性における特殊性は多くの場合において精神的な繋がりが生じるからである。

社会におけるビジネス上の取引、友人との約束などは一度目に成功して初めて精神的な繋がりは有意なものとして現れるのだが、男女間の夜の営みはある程度において順番が逆なのである。

裏切りや別れも当然当たり前のように起きる中ではあるが結婚を含めてある程度長期間の人間関係が想定され、実際に実現する。

そうした場合、社会的な人間関係も精神的な理解を基盤にしてみてはどうかと思う。
この商品があなたのこの課題を解決するか買ってみてはどうでしょうか?などという営業などは課題そのものや解決後の姿を想定できるはずもないのだから。
そのような姿は今が永遠に継続することがない以上変化を前提としており、必ずまやかしという要素が入り込む。
そのようなまやかしを計算に入れることなく約束などせずにそもそも人間同士の精神的な関係を築き、例え一度の約束がうまくいかなくとも継続した関係を構築すれば良いのではいだろうか。

このことが実際の行動が起きる前の待機として重要な役割を果たし、行動の結果が訪れるというものではないのだろうか。

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