支援の失敗事例の紹介

社会活動

NPO法人を代表として運営し、現場で活動するものとして現場の課題解決の他にすべきこととして活動、支援の失敗事例を共有することが挙げられる。
それは必ずしも私の知った管轄外であれ、具体的な失敗事例を挙げることは今後活動をし、”課題を解決する”ために活動する人間全員にとって好ましい事例であり、当然被支援者いう同じ人間の方々にとっては是非とも共有しておいて欲しい事例であろう。

1違法居住地の建設支援
インドの大都市では建設ラッシュが続いており、違法で住んでいるスラムの立ち退きは日常茶飯事である。
もちろんそれが違法かどうかきちんと理解せずに簡易的な”家”を建てて住んでしまっている例もある。
当然その地域の開発のタイミングで立ち退き命令があり、従わなければ法治国家である以上捕まっても文句は言えず、”氏らなっかたからごめんなさい”で済む話ではない。

実際に立ち退きがあった。
その際に当時結び手にいた方が家を建て直すための寄付集めを始めた。
もちろん家は必要だ。そのようなことは議論の余地はない。
ただ問題は家を建てるにあたってのその合法性にあった。

そもそもそこの土地に役所に届け出ることなく住むこと自体がルール違反であるので立ち退きが行われているのだが、その同じ地域で家を建てるというプロジェクトを始めた。

これは”違法を助長する行為”でもある。
その後どうなったのか共有も報告も確認もなく全くわからなくなってしまい、これは完全に私のマネジメント上の失態であるのだが、少なくともこの件は伝えており、合法的な方法での寄付金の活用が行われていることを願っている。
このお金は寄付で集めており、それ自体私は知らず、共通の知人から相談を受けて知った。
不徳のなす所ではあると同時に人を期待し、信頼してしまっていた私の失態であることは疑いようがない。

違法性があるから退去させられている所でさらに家を建てる支援をすることは団体そのもの、ひいては日本とインドの関係にも影響を及ぼしえることであり、当然現地の支援を受けた可能性のある方が余計に厳しい退去命令に晒される危険もある。

寄付を、支援をすればよいなどということはなく、その先の影響を想像する知見と力を持って慎重に課題を解決しないと課題を増やすことになる可能性を孕んでいるという失敗事例だ。

2栄養状態や地域の人間関係を加味しないスポーツ支援
スポーツは精神的にも身体的にも良く、チームワークを育む上でも大変良いものであることはいうに及ばないだろう。
元から人に混じって何かをすることが苦手な私にとってはチームスポーツは苦痛であったがそんなことは関係ない。

ただ当然スポーツの中の多くは激しい運動をするものもあり、それは栄養状態がよく、健康な体があって初めてできるものでもある。
そうでなければその時間のその活動は体を疲弊させ、家の手伝いをする体力を失わせてしまい、家族、コミュニティから白い目で見られる可能性がある。これは事例というよりも懸念である。

加えて女児をコミュニティから連れ出し、人目につく場所でスポーツをさせることは田舎においてはリスクが伴う。
カースト外、低カーストであれば尚更で、女の子を外に連れ出すことはよく思われない。
”生産業に従事させている””性行為をさせている”という噂は実際に立っており、そこで教えていた方から相談を受けたこともある。

その方自身が悩みを抱えることはもちろんだが、そこであらぬ噂を立てられた女児はやがて大人の女性として結婚していくが、その際に”あの子はかつてカラダを売っていた”などと噂が一度でもたてばその狭いコミュニティにおいて下手をするとその生涯苦労することとなる。

これもまた活動、支援の先の影響を、その人たち、その周辺の人たちへの影響を加味せずに行った支援の失敗と言える。

当然私が直接知っている事例であるため表に出すことは個人の人生としては気が引ける。
だがそんなことを言って伝えないことは”外部環境が原因で努力できない人をゼロにする”どころか”善意による負の影響”を野放しにすることにつながり、目的から反対方向に進むと判断し、ここに記している。

寄付や支援、活動をすることそのものが素晴らしいわけではなく、その先に”同じ地球に住む同じ人類として生きる人間に影響を与える”以上、しっかりとその影響を加味して”やるかやらないか”の判断をすべきだと私は考える。

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