確かにこれらは課題である。
日本の若者の精神的貧困
英国との歴史にも紐付くパレスチナ、ガザ
クーデター以降のミャンマー難民
ほかいくつも課題と言われている状況は存在する
ただより深刻な課題というのはほとんど多くの人間の口から”課題である”とさえ言われない課題。
上記の課題が深刻ではないと言っている訳ではない。
経済的な発展、”強いインド”イメージ戦略、連綿と続いてきた社会的背景としてのカースト、ジャーティ、ダウリー。
インドにおいてこの様な要素の中で生活している絶対的貧困かつ被差別と把握することができる私たちと同じ人間は、多くの場合”課題として認識されることがなく放置されている”。
そして放置をしているのは私たちと同じ人間である。
課題としてのレッテルを貼りすぎる好意、取り分けスタートアップ界隈でのそれはあまりに空想的な論理が目にあまり、それを盲信するあまり課題を結果として増やすということさえある。
ただ課題としてレッテルを貼られることは、人々の関心を向け、決して自己努力、自己責任の元では絶望と隣り合わせである状況、すなわち”外部環境が原因で努力できない”状況で生きる人間が最低限の機会を提供されるための一歩目でもある。
私は同じ人間に対して課題のレッテル貼りを、目の前の友人たちに対してそれを実行することを厭う気持ちはあるが、目的と将来を考え、自身の気持ちを他所に置き、論理的に具体的に考えてこの課題を発信し続けている。
そうしてインドにきてから早7年が過ぎようとしている中、この課題とさえ認識されなかった状況に対して、共に活動したいと始めたインドの方が5人、遠方であろうが同じ人間として放置せず、支援してくださる、私と同じ”日本人”の方が90名。
私はあまり国でカテゴライズすることは好きではないのだが、日本には常に特殊性を見出す。
それは宗教、国、個人を越えた何かのために時に命さえかけるほどに行動することがある稀有な民族であると。
その顕れの一つとして、もうすぐ100名に迫る方が私や、結び手という小さな1団体を支援してくださっている。
改めてこの投稿を見てくださる方にお願いです。
外部環境が原因で努力できない、産まれた環境や今いる状況が原因となって、誰がどう見てもどの様な目標や夢も諦めなければいけない、わたしたちと同じ人間のために、機会を提供するために、寄付、支援をお願いいたします。
現在1,500名を超える子どもたちに基礎教育の機会を提供しつつ、女性の自立支援や冬健康被害さえもたらす寒さの中での生活をする方への衣類提供をしております。
教育は月に500円で1人の、産まれて死ぬまでの大きな1人の人生に機会を提供するための活動となります。
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